HISTORY沿革

鈴秀工業の歴史

初代創業者 鈴木秀治

初代創業者 鈴木秀治

当社の創業は、昭和の歴史とともに幕が開けられました。

1927(昭和2)年4月、初代創業者 鈴木秀治が25才の時、「産業を通じて、社会の役に立ちたい」という少年の頃からの夢を実現させるべく、現在の前進である「鈴木秀鉄工所」を立ち上げました。
日清・日露戦争の戦勝をきっかけに産業界は隆盛を極めたものの、関東大震災以降はその後遺症を抱えた厳しい不況の真っ只中でのスタートでした。
当時は、家族・社員一丸となっての鉄鋼製品加工に取組み、鍛造品やナット等の加工で実績を作っていきました。
社長自らがハンマーを振るい、品質と信用を積みあげた時代は又、日本の新たな夜明けの時代でもありました。
1937(昭和12)年に起こった盧溝橋事件を皮切りに、第二次世界大戦へと突入する歴史の中にあって、鉄鋼産業はその需要を伸ばしていました。 その間、当社は、「日本シャフト製作所」を併設(昭和17年)し、現在のルーツともいえる磨棒鋼製品を製造・販売を始めました。
しかし、当社の位置していた名古屋市は、1945(昭和20)年3月の大空襲を受けました。
一面、焼け野原となった市街地で、当社の工場もまた、当地の象徴である名古屋城天守閣と同様、廃墟と化してしまっていました。
その後の終戦とともに、日本の産業全体がそれまで邁進していた行き先を失ってしまい、社長の秀治自身も途方にくれる時代でもありました。

二代目社長  鈴木敦雄

二代目社長 鈴木敦雄

日本全体が立ち上がるために、もがき苦しんでいた時期に、長男の敦雄(二代目社長)が、無事復員したことで、当社も再建にむけての活動がはじまりました。以前は170名いた従業員も、焼け跡の中での再起は5名からのスタートでした。
戦後、いち早く復興の兆しを見せた紡織・織機産業に絶対必要なシャフト部品に着目し、当社の技術を駆使して製造・販売をはじめました。 創業の当時同様、家族・社員一丸となっての取組みでした。
その頃(昭和23年3月)から、磨棒鋼製品の製造再開を着々と進め、1950(昭和25)年6月5日、磨棒鋼の製造・販売を中心とした現在の「鈴秀工業」が資本金100万円、従業員40名で誕生しました。
「ガチャマン景気」と呼ばれる繊維業界の好景気に合わせて「鈴秀工業」独自の発想と技術で、現在のVA提案ともいえる活動で市場を拡大し、当社の製造するシャフトの地位は確立されていきました。

現社長  鈴木清詞

現社長 鈴木清詞

時代は遷り変わり、繊維産業から重厚長大と呼ばれる時代を経て、工作機械や自動車産業とその主役は交替していく中で、当然ながら時代のニーズも変化しています。
「鈴秀工業」もまた、ボルトや冷圧部品の素材となるCHQワイヤーの製造、需要家と同じ目線に立った冷圧部品(パーツ)や切削・研磨技術への取組み、またシャフト分野で大きな飛躍のきっかけを作った異形形状(通常の円断面ではない)の磨棒鋼製造など、時代の変化とニーズを敏感にキャッチして「鋼」とともに歩んできました。
積み重ねた90年以上の歴史は、パートナーである製鋼メーカーや、顧客のみなさまとともに、初心である「産業を通じて、社会の役に立ちたい」と願う気持ちで綴られています。
これまでも・・・そして、これからも。

沿革

1927年4月
鈴木秀治が名古屋市熱田区で
鈴木秀鉄工所を創業、
鍛造品の製造販売を開始
1942年4月
日本シャフト製作所を併設し、
みがき棒鋼の製造販売を開始
1950年6月
鈴秀工業株式会社設立(資本金100万円)
1953年6月
センターレス研磨加工に着手
1960年3月
大高工場(現在の本社工場)建設
1964年2月
生産1万トン体制確立を機に大高工場を
本社工場とする
1975年8月
CHQワイヤーの本格的生産に着手
1977年11月
QCサークル活動開始
1985年8月
異形磨棒鋼の生産に着手
1988年4月
三重工場建設、冷圧部品の量産開始
1990年2月
ボールネジの生産に着手
1991年5月
山口工場建設、異形磨棒鋼の量産開始
1996年12月
金型設計製作及び設備保全部門を独立させ、
株式会社テクノ鈴秀を設立
2006年10月
インドネシアのPT. IRON WIRE WORKS INDONESIAに
技術支援を開始
2007年10月
本社工場の大規模レイアウト変更開始
2008年7月
ピーリング加工に着手
2011年12月
鈴秀(呉江)精密金属有限公司を
中国江蘇省に設立
2017年3月
IWWIに資本参加(2.97%)
2018年8月
創業の地にてSonosakiヱ金山が営業を開始
2019年1月
鈴秀(呉江)精密金属有限公司の二期工事を着工
2019年9月
山口第2工場を着工
2020年7月
山口第2工場、異形磨棒鋼の量産開始